Kurasia@チャイナ&アジア+【3周年企画】Specialインタビュー


元祖カリスマ駐妻マダムのグローバルライフ&キャリア

お片づけコーチング Studio HAGA代表 

芳賀裕子さん

プロフィール

芳賀裕子(はがゆうこ)

 

整理収納アドバイザー、ハウスキーピングコーディネーター、環境教育コーディネーター
家庭生活学科卒。夫の転勤で25回の引越と、14軒の住み替えを経験。発展途上国在住15年のカリスマ駐妻として注目される。転居と海外経験を生かした独自の整理・収納・ハウスキーピングによるシンプルでゆとりのあるワンランクアップの暮らしのご提案。NPO法人ハウスキーピング協会認定講師。
 

お片づけコーチング Studio HAGA代表。


 Studio HAGA】HP: http://www.okataduke.net/


【はじめに】

TVや雑誌で大活躍、お片付けコーチングStudio HAGAを主宰する元祖カリスマ駐妻マダム・芳賀裕子さんにインタビューしました。発展途上国での駐在妻の暮らし、しかもインターネットどころか電話も思うように繋がらない時代。海外各地を移動する生活の中で、二人のお子さんを育てながら、どのようにして今のお仕事への道筋を作っていかれたのか、興味津津! 

その手がかりや閃きは、駐在生活の日常の中で、私達日本人主婦のすぐ身近にあるものでした。

 

軽快で楽しいおしゃべりに笑いながら、時に共感で胸を熱くしながらの取材時間。ここには書けない個人的な話題、世界各地の海外駐在事情や経済・産業の話題までに至る濃密なインタビューとなりました。現役駐在生活中の人、既に帰国した人、これから渡航する人も。駐在妻ではなくても、女性の生き方と仕事に悩む全ての女性に読んで欲しいヒントが盛りだくさん。マダムがエールを贈ります!

 

芳賀さんはインド、インドネシア、メキシコ。合計で14年間もの間、海外駐在妻として過ごされています。すごく長い期間ですね。

 

発展途上国での生活、特に最初の頃は、今の時代の駐在よりも、たくさんの苦労があったと思いますが。

 

 

そうですね、結婚生活の半分の期間になるわね。(笑)

私の時代には、「女性のキャリアプラン」なんて言葉も無い時代。夫と同じ商社勤務だったので、みんな結婚したら退職して、駐在にもついていくのが当たり前だったのね。

 

 

当時の途上国での暮らしは、国際電話はなかなか繋がらない。申し込んでから2時間待ちなんて当たり前、3時間で繋がれば、まあいいかな?くらいな感じでね。

 

郵便物も全然届かない。やっと実家から送ってもらった段ボールを開けたら、荷物が全部盗まれちゃって、カルピスが一本だけ入っていた・・・なんてこともあったわよね。子どものために録画してもらった「お母さんといっしょ」のビデオテープを送ってもらうのにも、どれだけ袖の下をいっぱい払ったのか、なんていう感じよね。

 

 

定例の奥様会は当たり前、序列もあるような時代でね。でもね、それですごくいじめられたりしたか?と言えば、序列やしきたりがあって厳しい部分もあったけれど、マナーとか作法とか、現地のこととか、先輩たちから色々なことを教えてもらった。私はとても勉強になって本当に有り難かったな、と思うの。だからこそ、その後どこに行ってもやっていけたのだしね。

 

自宅接待もたくさんあったけれど、それも当たり前のことだと思ってやっていた。だけど、私の周りには、鬱になる人も不思議といなかったのよね。

先輩達からいっぱい怒られたし、いっぱい落ち込んだし、メイドさんと上手くいかなくて泣いたりしたこともいっぱいあったけれど、でも辛い、帰りたいとは思わなかったのね。

失敗したからこそ学ぶことがたくさんあったし、素晴らしい奥様達が周りにいっぱいいたので、本当に勉強になったから。自分が今その頃の先輩達の年代になって、あの方達のようにできているかどうか?と思ったとき、全然できてないなあと思ったりするわ。

 

 

 

最近の駐在事情と比べて、生活環境も人付きあいも大変ですよね。

先輩奥様に叱られたり失敗して気持ちが落ち込んだとき、どうやって気持ちのリセットをしましたか?インターネットも無く、駐在地での環境は今よりも孤立していたと思いますが。

 

 

まず電話もつながらない時代だったのでね、相談したくても実家にも電話できない。若くて忙しい夫は話なんて聞いてくれないでしょ。(笑)だから、同年代の奥さん達同士での横の繋がりがとても強かったし、おつきあいが密だったので、かけがえのない友人関係が築けて助かっていたなあと思う。

 

今はちょっとブログを検索すれば現地情報はなんでも知ることができるから、人とのおつきあいがめんどくさいと思って、自分で経験しないで知った気になっちゃう人が多いんじゃないかしら?

パソコンやスマホも、もちろん駐在地の情報収集にはいいんだけれど、しがみつかないで、って。せっかくだから、自分の足で行って、目で見て、経験したほうがいいと思う。それが強みになるんだから。老婆心ながら、そう思うのよ。どうかしらね?

 

 

確かに、ここ5年位でネット環境は急速に変化していますね。私が上海に行った2008年頃は、アメブロが始まったばかりの頃で、主にミクシイのコミュニティ等で、現地の情報交換をしていた時代でした。

 

 

うん、そうね、そのぐらいの時代まではよかったのかしらね。今は、フェイスブックとかラインとか、スマホで手軽につながれるから色々情報が多すぎてね。

もちろんそれらを使ってもいいのよ。だけど、他人の主観で書かれたものばかりを見ていても、自分の価値観で経験してこないと、海外の生活はもったいないでしょ?

 

誰かが「あそこのパン屋さんが美味しい」とブログで書いたら、次の日みんなが大群でベビーカーで押しかけて、もう日本人のベビーカーは×です!なんて書かれちゃったりとかね。(笑)現地で日本人の株を落としちゃったりするわよね。だから、そういう情報にばっかりしがみつかないように・・・って思うわ。



上海でも誰かがブログで書いたら、日本人奥さんがみんな同じお店でオーダーメイドして、同じダウンコートを着て大群でぞろぞろ・・・なんて光景もありました。(笑)

お友達づくりは、いかがでしたか?誰かの紹介での引き合わせが中心だっと思いますが。

 


もちろん、そんな時代だったから、人と知り合うのは、紹介が中心だったですね。

メキシコに行ったときは、子どもが成人して就職している年齢だったので、日本人と知り合うのも難しかった。だから、努めて八百屋のおじさんと話したり、現地の人と交流してたのね。

 

インド駐在時は、娘(長女)は高校1~2年で、日本の高校の寮にいたし、息子が大学4年のときに、私はメキシコ駐在に行ったのね。当時、帯同する子どもが一緒にいないから、子どもを通じて人と知り合うのが難しくてね。

 

現地の人で一番仲よくできたのは、習い事の先生。語学の先生だったり、お料理の先生だったかな。

それまでアジアの駐在が長かったけれど、アジアには現地に根をはる日本人や移民の日系人が少なかった。でも、南米、メキシコは移民や日系人のコミュニティがあって、それまでとは違う面白い体験ができたの。現地の人とも違う、駐在ともまた違う、移民のコロニア、日系人文化があって面白かったのね。メキシコには統括された日本人会も無いの。日系コロニアの会、駐在者向けの商工会議所はあるけれどね。

 


メキシコシティには、商売を興すために一人でメキシコに来てパティシエをやってる若い女性がいたり、通訳や編集、弁護士事務所、会計事務所での仕事をしている女性もいたし、パン屋さんを起業してる日本人の女性の店もあった。彼女たちは日本で不遇の就職時代にメキシコ来て起業していたのね。思わずエールを送ったわ。

 

赴任して3カ月目に、婦人会の会長をやりなさい!と言われて。できないなりに一生懸命やったわね。3年半メキシコシティに暮らし、主人が定年退職して、日本に戻ってきた。

 

メキシコに行った当時は、親の看病と介護の疲れがたまっていたのね。

自分に限界も感じていて両親を続けて看取ってから直ぐに、先に主人が赴任していたモンテレイまで飛んで行っていたの。


40代後半とか50代になると、親の介護の問題とかも出てくるからね。気持ちが疲れてしまっていたので、すこし距離を置いて、こうしてあげたらよかったのにという介護方法の後悔とか、親への辛い思いなど色んなことから少し離れたいという気持ちもあった。それで、向こうの生活で自分が癒されたのね。


駐在だと、海外にいるうちに親を亡くす人も多いと思うけれどね。すぐに帰れる距離でない人もいるわよね。

 


そうですね。私も駐在中、急変した父に会う為に飛んだことがありますが、駐在地によっては難しい人もいますよね・・・。

今の駐在生活と比べると、インターネット、スマホどころか電話が繋がらなかったり、今の若い人には耐えられないような環境だったかと思いますが、芳賀さんはプラス思考でらっしゃいますよね。

 


そうね、どこにいても、結構ポジティブなの。(笑)鬱なんて言葉とか意識も無かったしね。

だけど、男性と比べて女性って、結構どこでもしなやかにやっていけるんじゃないかなと思ってるの。縛られないというか、「こうあらねば」とか「こうじゃなくちゃイヤだ」とか言っているといつまでもだめだけどね、もちろん。

 

海外から帰ってきてキャリア・パスとか考えた時にも、価値観の転換ができて、わっと舵を切れるというか・・・。上手く流れに乗ったりとか。どうですかね?そういうのって、思い通りにならない駐在生活で、かなり鍛えられてるからなんじゃないかな?と思って。


 

ああ、そうですね。人生、何もかも思うようになるわけではない。思うようにならないこともある・・・と思えるようになるというか、あるがままの今置かれた環境・・・つまり、人生を受け入れられるようになるというか。(笑)

 

そうそう!与えられた環境の中で、自分はどうしていけばいいのか?と考えられるようになるのが、海外駐妻の強みだわよね。

 


一人ね、ブログ友達にロシア極東に駐在している人がいたの。

その人、すごく前向きなのね。雪に閉じ込められる季節が長いでしょ。白樺細工をしたり、冬の保存食を夏の間に一生懸命干したり仕込んだりしてるのよ。昔じゃなくて今の時代よ、駐在なのよ。(笑)この人すごい!!と思ってね。そういう大変なところに住んでいる人と比べたら、自分の環境はまだ恵まれていると思って、やっていけるわよね。

 


臨機応変にやっていける「しなやかさ」が大切よね。「ま、いいか」と思えることも大事ね。

工事の修理屋さんが約束時間通りに来ないのだって、そんなの当たり前よね。日本だけよね、「すみません、10分遅れます!」って電話くれるなんて。(笑)

 


本当にその通りですね、インドも中国も、他の国も。むしろ、思うように行かなくて当たり前、すんなりいけばラッキー!くらいの気持ちでいないと生きていけない。(笑)

駐在生活は、インド、インドネシア、メキシコ、どこの滞在が一番楽しかったですか?

 

ムンバイ(インド)が一番楽しかった!ヒンディー映画にはまったのね。

もうね、この良さは誰にもわかってもらえなくてもいいのよ、自分が楽しければ。(笑)

 

 

あ、分かります、私もこっそり華流映画やドラマ好きなので。(笑)

 

あら!そうなのね、じゃあ一緒ね!(笑)

 

 

ヒンディー映画の魅力はなんでしょう?

 

やっぱりね、インド美男子ね。南じゃなくて北のほうね。(笑)

 

ムンバイ駐在は、とことん現地の楽しみにはまれたことが、本当によかった。

あとは、英語の家庭教師の先生が、素敵な方でね。私のインドの姉であり母であり、大親友になれた。彼女がいたからね。今でも仲よくおつきあいさせてもらってるのね。現地の親友ができることは大きな心の糧になります。

 

インドの人は、ヒンズー教だからかしらね。若かったころインドネシアでは、私の未熟さもあったせいか、手のひらを返されるような裏切りみたいなことを経験してね。でも、インド人は情が深くて、すごくいい関係ができたのね。

 

 

海外生活で、お子さんの子育てや教育など意識したことはありますか?

 

うちはね、主人とも決めていたことなんだけど、「住んだ国の悪口は言わない。」っていうポリシーがあるの。外国人でお邪魔している立場なのに、レストランで注文間違っただけで、彼らの悪口言ったり。そういうのは、見ていて痛々しいわよね。

 

悪口言わないようにしようと思うってことは、良いところを探していこうっていう気持ちにつながるでしょ。「ありのままを受け入れていく」っていうことよね。ここは日本じゃないんだから。

日本人がグローバルな視点でなかなか世界でうまくやれない理由は、そういう気持ちの根っこの部分が足り無い場合も多いんじゃないかなって思うのよね。

 


今、メキシコ海外赴任前研修の事業をやっているのだけど、大企業のように様々な制度の整っていない中小企業とか、初めて海外駐在に社員を出すような会社が多くてね。そういう海外での経験が浅い人達が、一から立ち上げて行くのって、本当に大変だろうなって思うわね。

 


私のところに駐在セミナー/個人相談に来る人達も、同じような感じです。それで奥さん達も不安が多いという・・・。中国駐在員は減少傾向ですが、メキシコはどうですか?増えていますか?

 


多いですね、大手の自動車産業の孫請けぐらいの会社。メキシコシティよりも中西部のグアナファトという所では、ここ数年で日本人が3000人も増えた。工業団地地帯は、もう通訳も日本人が住めるような賃貸住宅も間に合わない。どんどん増えているわね。スペイン語の研修も無いままに、送り込まれているような具合で。

 


それはすごいですね!メキシコというと、怖いというイメージがありますが。駐在セミナーでは、危機管理なんかも指導されていますね。

 


そうね、メキシコは治安が良くないわね。中南米の麻薬が全部集まってきちゃうし、銃のある社会だから。インドのほうが安全だった気がします。マンションのセキュリティも厳しかったわね。

安全対策を知らないって言うのも怖いからね。街でタクシーに普通に乗っちゃったり、バレッタパーキングで家の鍵を一緒につけたまま、車のキーを預けてしまったりとかね。気を付けないといけないわね。

 

 

お仕事の話を聞かせてください。

 

芳賀さんは長期間に渡って、海外で駐在生活を過ごしていたにも関わらず、整理収納アドバイザーの第一人者として活躍してらっしゃいます。

 

どんなふうに起業し、仕事へと復帰したのか、夫の海外駐在に帯同中の女性の皆さんは興味があると思うのですが、お話いただけますか。

 

 

 

最初はね、帰国してから直ぐに派遣会社に登録したのよね。でも、44歳で再就職の壁はなかなか険しくて、それでもやっと見つかったお仕事に決めようとしたら、主人に「それはやりたい仕事なの?」と聞かれてね。「お小遣い稼ぎで行くんだったら、僕はそのために家事を手伝ったりできないから。」と言われて、そうか、たしかに、この仕事は違うな・・・って思い直したの。

 

 

そのあと、市立図書館の嘱託職員の仕事を見つけて、これはすごく好きな仕事だったので、2年間続けたの。でも、嘱託職員の身分ではここを改善したらいいのにという意見も取り入れられず、仕事にやりがいが感じられなくなって辞めたんですね。

でも、本の整理、片づけにはすごくはまってしまって、これいいな、片づけの仕事で雇ってくれないかな?と思って人材派遣に行ったら、やっぱりそういう仕事がなくて。

 

 

そうしたら、ちょうど引っ越し会社で、片づけ部門を立ち上げるという部署に雇ってもらえたの。部長待遇で来てと言われて、でも、すぐにM&Aで大手に吸収されちゃったの。それで辞めますって言ったら、その人材派遣会社で片づけ部門を立ち上げるから、ウチでそのノウハウ活かして働きませんか?って言われた。だけど、私がやりたいことにいちいちケチがつく。お客さんにこのくらいしてあげたいって思っても、コスパはどうか?とか、色々とあって、ちょっとやりたい仕事とは違うなあ・・・って悩んで悶々としていた。

 

 

ちょうどその頃に三鷹市の起業塾に行ってみたら、今日から始まるからっていうのですぐに申し込んで。そこで相談したら、そんなノウハウ人材派遣会社にあげちゃうなんてもったいない、自分でやりなさい!って言われたのがきっかけ。

 


起業塾に行ってみて面白かったのは、男性は、資本金とかの準備もして、すごい立派な事業計画書とか書いているんだけど、本当にやりたいことが無い人が多かったの。

でも、私は資本金は図書館の退職金の30万とかでお金もないし、事業計画書も全然ちゃんと書けないんだけど、やりたいことだけはあったのね。(笑)

 

 

何でもやりながら覚えて行ったし、起業して最初の2年間はほとんど寝てないですね。インドから帰ってから、メキシコに行くまでの間ね。その間に親の介護もあったりしてね。人生で一番忙しく働いた時かな。

 

 

当時二人のお子さんは?

 

 

お姉ちゃんは大学生、息子は高校生。子どもも大きかったから、「お母さん働いてるんだから、今晩のご飯は自分達でなんとかして、もうできるでしょ!」とか言ったりしてね。

息子には「この超手抜きの弁当は、母の自己実現の犠牲ですね。」って言われながらね。(笑)シビアよ、高校生にもなると。でも今は、「お母さん、あの時すごかったね。」って言ってくれるのよね。

 

 

ご家族は、芳賀さんのお仕事に協力的だったのですね。

 

 

そうね、応援してくれたわよね。

私は経理がいまだにダメで、夫がやってるの。「簿記二級、すごいね!」とかおだてながらね。(笑)

だけど、夫の理解、家族の応援がないと無理よね。皆さんこれは一緒だと思うけれどね。

 

今は、身の丈にあった働き方でいいなって思っているのね。

「もうお仕事を縮小したいんだけど・・・」なんて言うと、「あのときあんなに僕は色々我慢させられて、がんばったのに!」なんて言われて。まだもうちょっと頑張んないとだめかな?なんて思うわ。(笑)

 

 

主婦がやって当たり前と思われている「お片づけという家事」をサービス化したというのは、とても新しかったと思います。発想、ひらめき力がすばらしかったと思いますが。

 

 

そうね。好きだからそのまま仕事にしたっていうのもあるけど、ニーズはあると思ったの。

お金払っても来てほしいと思っている人は絶対いる・・・・と思って。主婦友は、みな声を揃えて、そんなサービス売れるはずがないっていったんですけど。

ブログで発信するときには、どうしたらこの困っている人に伝わるだろうか、欲している人にどうやれば届くだろうかと考えていますね。それを意識しましたね。

私は営業がダメであんまりしてないんだけど、ブログで検索して見つけてくれたりして、新聞や雑誌も取材なんかも来てくださったり。

 

 

まだ世の中に無かったサービス・・・というのもありますか?

 

 

先駆者利益というものも大きかったと思いますよ。必要とされているサービスをパッケージ化して商品を作ったというところでね。

このアイディアを他の会社には、ホームページをそのままそっくりコピーされたりしたこともあったけど、だからと言って、世の中の仕事を全部自分が受けられるわけでは無いしね。

いい仕事を続けたいと思ったら、あまりたくさんの量はできないわよね。

 

 

正に、アジア圏の都市ならではの「駐在妻経験を生かした発想」だと思いますが。

 

 

そうね、途上国でお世話になったメイドさんとかでも、片づけが苦手な人がいたりしてね。私がやったほうがずっと上手にできるわ、とかね。(笑)

でも、当たり前の家事だからこそ、お金を払ってもらうためには、どうしたらいいか?サービスだから、やっぱり意識して工夫をしたわね。

 

 

障害のある方で片づけができない方もいたりしてね、後見人がいないと困るような方。

それで、ちょっと市民後見人の勉強をしたんだけれど、そこで出会った方には、行政への申請手続き書類作成が大好きな人もいるのよね。こいういう手続きの代行サービスだったり、海外で自分が困ったときに一生懸命やったことなんかは、後で仕事にしたらすごく役に立ちますよね。

 

身近なところでは、海外赴任にはペットの手続きとか、一時帰国のときの世話って大変でしょ。そういうお困り事の解決サービスを、駐在の奥さんがまとめて仕事でやらないかしらね?すっごく助かると思うのよ。(笑)

 

受験もそうだし、育児、出産もそうでしょ。親の介護もそう。女性が起業できそうなネタはいっぱいあるわよね。あとはやる気次第ね。

 

女性の起業は3年持たないって言われているんですって。はじめたはいいけど、すぐやーめた!って。(笑)だから、はじめるときに、それだけはならないようにしようって思ったのね。

 

 

ありふれたことに、海外とか駐在という経験をプラスした途端に煌めき始める・・・というか。

 

そうそうそう、そうよね!駐在妻の視点、強みよね。

やっぱり日本を外から見直すきっかけがあるからじゃないかしらね。海外にいたからこそ、日本の良さとか、日常のことが違って見えるのね。

 

 

ああ、心から共感できることばかりで話題が尽きませんが、残念ながらお時間が・・・。

最後に、海外の現役駐在妻と帰国した皆さんに、アドバイスをお願いできますか?

 

 

キャリア・パスだなんて、全然計画的には考えてなかったわよね。今振り返ったら、こうなっていた、というだけ。だから、そのときそのときが充実していれば、それでいいんじゃないかな。

出たとこ勝負、その時その時を楽しめたら、きっと将来は繋がってくるんじゃないかしら?

 

キャリア・ブレイクは怖くないし、もし日本にいたら・・・って比べてずっと悩むんじゃなくて、そこでの生活を充実させて楽しんでいけばいいんじゃないかなあ。

 

 

失敗もね、学びがあるじゃないですか。

例えば、駐在生活がどうしても合わなくて、すぐにギブアップして日本に戻ってきちゃったとしても、それをテコに挽回して活躍している人もいっぱいいるわ。だから、それだっていいんじゃないかしら。あんまり先々考えて怖がらなくてもね。

 

駐在生活でのキャリア・ブレイクは怖くない。・・・というよりも、それでいいんじゃない?って思うわ。

赴任地でなかなかやりたいことが見つからず、お気楽にゴルフしまくり、エステしまくりの時期が一生の間に何年かあったって、それはそれでいいじゃないかしら!

 

 

(2015年6月東京 インタビュー、構成: 茉莉花)




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