2013.07.20掲載
川村由樹 (かわむらゆき)
1976年生まれ、北海道出身。 18歳で高校卒業後、中国・上海へ語学留学。 一旦は挫折・帰国するも、その後花店アルバイト等を経て、2001年再び上海へ渡航。 2004年『アリスフラワー』を南京西路の百貨店・久光に初出店、現在上海市内に5店舗を展開する。(2013年7月現在) 出身地・北海道の物産を世界に紹介する為に、なまこを使用した化粧品『Atuypirka(アピュイチュリカ)』を製造販売もスタート。 上海の国営企業等で社員のマナー研修事業なども手掛ける。
【Kurasia@チャイナ】一周年に合わせて、素敵な女性起業家のインタビュー掲載を企画していました。 個人的にも、川村さんの“上海ストーリー”を聞かせてもらいたい・・・と以前から思っていたので、インタビューが実現して大変嬉しいです。
それは光栄です。よろしくお願いします。
簡単な自己紹介をお願いできますか?
中国・上海で『アリスフラワー』という花店を経営しています。
上海で働く今の主人と知り合い結婚、現在、小学生の息子と幼稚園の娘がいます。
川村さんは上海在住日本人の中でも有名な花店の店主、また上海の“古株”のお一人でもありますね。 まず、北海道にいた若き日の川村さんが、当時今ほど栄えていなかった中国・上海で、花店をやろうと思ったきっかけに、大変興味があります。 初めて上海に来たときのことなど、教えていただけますか?
最初に中国を訪れたのは、高校卒業後すぐ(95年)に、上海の復旦大学に語学留学をしたときです。「日本を出て、世界を見たほうがいいよ。」という父の下で育ち、私達姉妹も小さいころから海外に対する憧れを持っていました。 父親の友人の中には中国人もいたので、当時、なんとなく留学先として中国に行ってみたいと思ったのは、私にとっては自然な流れだったと思います。
復旦大学では、大学の寮に入りました。当時の、高校を出たばかりで社会というものを何も分かっていない状態の私には、中国の寮生活は結構過酷でした。 上海は、暑いし、臭いし、汚いし・・・(笑)。 すぐにホームシックになり、まだ中国語もほとんど聞き取れないレベルのままに、日本へ戻ってしまいました。 当時は目的意識も何も無く、なんとなく中国に行っただけで、旅行気分から抜けて無かったのでしょうね。
その後、再び中国に戻って、“再挑戦”されていますね?
はい。短期留学の後、帰国してから、好きな花と触れられるから・・・と、花屋でアルバイトをしていました。 99年に中国で花万博があると聞き、『行きたい!』と思い立ち、再び中国を訪れ、上海に立ち寄りました。 そのとき、中国の色々な種類の花を見ていて、自分の頭の中で、これまでバラバラに存在していたピースが一つに繋がったんです。 中国、上海、花・・・。 『そうだ、上海で花屋をやりたい!上海で花屋をやろう!!』と思ったのが始まりです。
好きな事、これまで経験してきたこと、これからの夢がつながった瞬間ですね。 そして、今度はしっかりとした目的ができた・・・。
はい。 そこからは、花屋の夢に向かって行動しました。 まずは、1年間、日本で他の仕事をしてお金を貯めて、2001年に再び中国・上海を訪れました。 最初は何のつても無かったので、華東師範大学で半年間語学留学生として、中国語を学びながら滞在。 日本の知人の紹介の花店でアルバイトを始めることになりました。今度は最初の時と違って、「やるべきこと」がはっきりしていたので、中国語にも仕事にも真剣に取り組み、毎日が充実していました。
その後、自宅で日本人の駐在奥様向けにフラワーアレンジのレッスンを開始しました。当時はまだ駆け出しの時代だったので、ほぼ口コミの紹介だけで集客していました。フラワーアレンジのレッスンをしながら、花屋を開店したい!という夢が更に膨らんでいきました。
そして、念願かなって、2004年秋、一号店を久光に開店。 ここでのお店は、おかげさまでたくさんのお客さんに足を運んでもらうことができ、経営としては黒字だったのですが、途中、デパートの経営陣が変わり、テナントを追い出されてしまいました。 その後は開店と閉店を繰り返しながら、今に至ります。 高い家賃は出せないので、場所にはこだわりながら、ずっと試行錯誤しつつやってきました。
現在5店舗展開していますが、ここまで来るには数々の苦労があったかと・・・。
花屋を中国で始めて、無我夢中だったし、すごく楽しかったんです。だから、苦労よりも、楽しいという気持ちとやりがいがうわまっていて・・・。振り返ってみると、苦労が思い出せないくらい! いいことのほうが、苦労よりもずっと多いからだと思います。 それに、苦労は今の自分に全て繋がっている。 一つ一つの経験があったから、今の自分がいるんだ・・・と思います。
「アリスフラワー」という店名の由来を教えてもらえますか?
大好きな『不思議の国のアリス』から取りました。“アリス”は、生涯の親友の名前でもあります。 無邪気さを感じられるように・・・、誰からも愛されるように・・・と願いを込めました。
花と中国人というと、日本とは違った生活習慣、価値観からくるハプニングもあるかと思いますが?
これも本当に色々ありすぎて・・・。 簡単には話せないし、覚えていないくらいです。(笑)
「色々ありすぎて覚えていない」という言葉は、たくさんの方が口にしますね。ハードな中国生活ならではかと・・・。では反対に、感動した出来事やエピソードなどはありますか?
まだ駆け出しの頃、いつもお世話になっている仲卸集荷の人に「一万元貸してほしい。」と言われたことがありました。 当時、私自身もその日暮らしで、全く余裕なんてありませんでしたが、なけなしのお金を貸してあげました。 その時は、戻ってこなくてもいい・・・と思っていたのですが、数か月後、彼がきっちり一万元を返してくれたんです。このことは感激しましたね。
昨年日本人向けフラワースクールを閉鎖、新店舗もオープンしていらっしゃいますね。
はい、そうです。2001年から教室を初めて10年が経過し、フラワースクールを閉鎖することを決心しました。自分でもやめてしまうなんて思いもしませんでしたが、心が疲れていたのだと思います。
ほとんどの駐在員の奥様は任期があり、常に入れ替わりがあるので、せっかく一生懸命に学んでくれて、いいレベルまで育った人も、やがて帰国して上海からいなくなってしまいます。 この先どこへ向かっていいのかわからなくなってしまったこともありました。そういった経緯を経て、2012年8月、一旦フラワースクールを閉鎖することしました。
しかし、今年6月、スクールを再建、再びスタートさせました。 今度はターゲットを日本人のみに絞らず、もっと幅広く生徒さんを受け入れられるようにしました。 現在、日本人、中国人の他に韓国、香港の生徒さんにも来て頂いています。
花店のほうでは、昨年2012年12月に、王角場店と南東店の二店を新しく開店しました。 この二店舗は元スタッフが独立して出店したものです。 子供のように大事に育てたスタッフが巣立ち、こうやって独立していくことは、私にとっては自分のことのように嬉しく、一番の喜びです。
中国人スタッフの教育など、一筋縄ではいかないこともあったのでは?
中国人スタッフは、たしかに教育するのが大変でした。 それこそ、胸ぐらつかんだり、おしりを蹴ったり(笑)しながら、叱ることはたくさんありましたよ。私も若かったので勢いがありました。
しかし、今では育ったスタッフ達が新人への仕事の基本をフォローしてくれているので、とても穏やかに仕事が出来るようになりました。 毎日、スタッフ達と一緒に成長していることが実感出来て、うれしいです。彼らが最終的には経営者として巣立ち、『アリスフラワー』の名前を繋いでいってくれていることが、私にとっては生きがいであり、喜びです。 中国に来て良かった!と心から思います。いずれは日本に帰る身ですし、店は持って帰れませんから。
これまでに、「働きたい」と来た人を追い返した事もないし、私から辞めろと言った事もありません。 これは、最初から今までずっと変わらないスタンスです。 常に相手に「やる、やらない、続ける、辞める」を決断させてきました。 そのせいか、今までやってきて、賃上げ要求や「やめてやる!」というような騒ぎは、一度も起きたことがありません。 引き抜きやジョブホップが当たり前の中国社会にあって、このことは、とても恵まれているなあと思います。
素晴らしい。川村さんの教育方法が功を奏したのではないでしょうか。 何か気を付けていることはありますか?
気を付けていることの一つに、中国に行く前に父から言われた言葉があります。 「中国で暮らさせてもらっているのだから、簡単に儲けようと思うな。中国で経験をさせてもらい、中国人に恩返しをする気持ちを忘れるな。」と言われました。 この言葉の影響はすごく大きかったですし、この言葉があったから今の私がある、と言えます。 「目の前のことを、とにかく一生懸命やろう、お金は後からついてくるんだ。」と思いながら、大変なときも諦めずにがんばることができました。
昨年から、中国人向けの企業研修や化粧品の販売を初めてらっしゃいますね。
はい。昨年2012年12月より、第一食品商店という老舗百貨店で、社員向けにマナー研修の企画運営をしたり、「日本の良いものを中国に販売しよう!」と、同じく北海道出身のパートナーである大塚早苗さん(※上海で中国人や日本人向けにお茶・着付け教室『美門』を主宰)と、貿易事業を一緒に始めました。 また、北海道のご当地コスメとして、なまこの成分を使用して作った化粧品シリーズの「Atuypirka (アチュイピリカ)」を開発、通販での販売を開始しました。
双子のお姉さんはドイツ、妹さんはアメリカ、川村さんは中国。 三人姉妹のそれぞれが海外で活躍してらっしゃいます。 「外へ出て、広い世界を見たら良いよ!」というお父様の言葉の影響が大きかったのだろうなと想像します。 ご自身は、二人のお子さんの子育てで、同じように海外で活躍してほしいという気持ちはありますか? “ママ”として心がけていることはありますか?
そうですね、私達三人とも、父の影響を受けて育ったと思います。 だから、ごく自然に、それぞれが自分で決めて、日本から外に出て行った・・・という感じです。
自分の子供に対しても、日本に限らず、海外の好きな場所に出ていけるような人間に育って欲しいなと思いますね。 でも、やっぱり本人の意思を一番大切にしたいです。
今後の目標、将来の夢を教えてもらえますか?
若い頃はすごく個人的な野心がありました。けれど、今は、「社会の歯車を作りたい。」と思っています。 障害を持っている人達が、どうにか働ける方法等を考えて行きたいですね。
個人の目標としては、40歳で花店のお店の実務からは手を引いていたい・・・という気持ちがあります。やることがいっぱいで、今は目の前のことしか考えられませんが、将来、好きなところに好きなときにいけるような状態になりたい、と思います。
上海は人生の中の一つのステージ。だから、上海だけではなく、例えば「フランスに行きたい」と思ったらいつでも行けるような、そんな生活が理想ですね。
最後に、将来、中国や海外で働きたい女性、起業したい女性へ、アドバイスをお願いします。
「これだ!」というものさえ見つかれば、あとは前進あるのみです! アクシデントや思い通りにいかない事からも、更に多くの知恵を得ることができると思います。 世界にたった一つの自分の人生を受け入れていって欲しいな・・・と思います。 ありがとうございました。
(インタビュー、構成: 茉莉花 2013年3月上海)
アリスフラワー (艾丽斯花房)
HP: http://www.aliceflower.cn/index.asp