失恋ブレンドコーヒー

              

 

人生に迷った女はなぜ京都に一人旅に出かけるのだろう?

これまで、そういう女達を冷ややかに見ていたけれど、彼女たちの気持ちがやっと分かった。三年越しの恋を無くした今、ひとり思い切り感傷に浸りたくて京都へ一人旅に行こうと思ったが、このコロナ禍のせいで遠出がしづらい。それで、東京から近くて古都の趣ある街…鎌倉へ日帰りで女一人ぶらり旅にやってきたというわけだ。

 

 

山間の人気無い道を歩いて行く。夜は絶対通りたくないなと思いながら、鬱蒼としたトンネルを抜けると、ぽつんと一軒の小さな山小屋風の家が建っていた。近づいてみると、看板は掲げられていないが喫茶店のようだ。「恋に効く珈琲、淹れてます。」

入口前に出された黒板に、そう書かれていた。私は吸い込まれるように中へ入った。

 

「こんにちは」

 

店内を見まわしてから、奥の窓際のテーブルに座った。初老の紳士といった風貌の店主が音もなく現れて、「いらっしゃいませ」と言うとメニューと水を置いた。

こげ茶色のクラッシックなメニューを開くと、「本日のおすすめ:失恋ブレンド・スペシャル千円」と大きく手書きで書かれたていた。その下には「ブレンドコーヒー(並)五百円」と小さくある。

私はずいぶん露骨だなあと思いながらも、好奇心から千円する失恋ブレンド・スペシャルを注文した。五分ほどして、マスターが銀色のトレーを恭しく運んできた。そこには、コーヒーと栞しおりのような長方形の紙、万年筆、砂時計が乗せられていた。

 

 

「おまたせしました。この栞しおりに貴女の願い事を書いてコーヒーに三分間浸してください。砂時計の砂が全部落ちたら、一口ずつ味わってゆっくり飲んでくださいね」と言った。

 

なるほど、おまじないか。子供だましだとは思ったけれど、ここは素直に従ってみる。私は万年筆で書きつけると栞しおりをカップに浸した。

「恋をしたい。」

――新しい恋を見つけて、早く痛みから解放されたかった。砂時計の最後の砂が落ちると、栞しおりはしゅわしゅわと泡になって褐色の液体の中に消えた。

私はカップにそっと口を付けた。一口、二口と飲むごとに、恋人との日々の思い出が滲んで溶けてく気がした。一杯飲み終えると、不思議と窓の外の景色が明るく見えた。家に着く頃には、重苦しかった胸のつかえがすっかりとれていた。そして、私は一人の日常を取り戻した。

 

 

 

 

半年が過ぎ、紅葉の季節、私は再び鎌倉のあの店を訪れた。

「いらっしゃいませ。お待ちしていました」

マスターが静かに現れてメニューと水をテーブルに置いた。メニューには「新しい恋ブレンド・デラックス」とだけ書かれていた。

と、ドアのチャイムがカランコロンと鳴って客が入ってきた。その人は私を見て、一瞬考えてから、笑顔で会釈をした。どこかで見たその人は私のテーブルまで歩み寄ると、「ここに座っていいですか」と言った。

 

マスターが音もなく現れると、コーヒーを二つ、そっと私達のテーブルに置いた。

 

 

 

失恋ブレンドコーヒー /茉莉花 文・写真 (2020年12月執筆)

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